
ブログの更新が滞っております。
申し訳ない。m(_"_)m
ネタがあるんだけど、書く時間がなくて。
ノルマは課しているけれど、あくまでノルマ。
ブログが生活の中心ではないから、
生活のペースに合わせて記事を書きますので、
お越しになって更新されていなくても、
ガッカリしないでくださいませ。
一昨日、長男は新しい音楽の先生に師事した。
ピアノの先生が交代した訳ではない。
今師事しているピアノの先生は、指導経験豊富な方で、
地域では5本の指に入ろうかという方である。
おいそれと替えたくないし、替われるものではない。
同じ音楽でも違う分野の先生に師事したのである。
では、それはどんな先生なのか?
トランペットの先生?
いいえ。
それは楽典と聴音の先生なのである。
楽典というのは、音楽の読み書きの基礎を記したもので、
言語的にいえば「いろは」を記したモノだと言える。
要するに、楽譜に書かれている記号や表記が何を意味するか、
それをまとめたものが楽典という訳だ。
西洋音楽として確立された以降の楽譜記述法が、
楽典の中心だから、これが音楽の全てじゃない。
あくまで「基礎」というところがミソである。
とは言え、これを知らなければ楽譜が読めない。
何調の何の音符を基準にした何拍子で、
曲想と速度を確認して、それから音楽に入る…だから。
その後は、リズムにスケール、和音にアーティキュレーション、
発想記号に奏法記号とテンコ盛りである。
正式に音楽をやるというのは大変だなぁと、
我が息子のことながらそう思った。
それから、聴音はソルフェージュとも言われるけれど、
ピアノで弾いた音を楽譜に書き記すことだ。
物理的な音に対するセンスを身に付けて、
耳を鍛えるレッスンである。
聴音は「絶対音感」がなくても大丈夫である。
「相対音感」を訓練するのが聴音だと思うのだ。
幼児期に訓練されないと身に付かない絶対音感とは違い、
相対音感は訓練次第でどうにでもなる。
ある基準の音を聞いてから、次の音が基準音に対して
どう違うのかを判断できればいいのだ。
この相対音感は演奏中のピッチのズレに対応できるし、
移調しても調の違いが分かっていればその対応も可能だ。
音大などの試験にもこの項目があるが、
それにはコツがあって、それさえマスターすれば、
それ程難しいことではないらしいのだ。
内容の説明はこのくらいで。
ちなみに、レッスンの場所はピアノのレッスンと同じである。
え?
それはどーゆーことって?
楽典と聴音の先生は、今のピアノの先生の娘さんなのである。
20代の新進気鋭、売出し中のマリンバ奏者なのだ。
ずい分前、そうだなぁ、8年くらい前かな。
同じ発表会で、先生と長男は出演しているのだ。
だから、先生は僕ら親子のことはよく知っているのだ。
何処となく面白いでしょ。
何か、因縁めいていて。
1時間のレッスンが終わって、初日は終了。
長男は戸惑いながらも何とか終えた感じだった。
「新たな段階に入ったんだなぁ」
帰りの車の中で、そんな風にしみじみと長男は語った。
ある意味で、もう大学受験が始まっているのだ。
長男も今が踏ん張り時である。
本人も少し自覚したようなのだ。
それを折れないように支えてやるのが、僕の役割かな。
間違っても、折らないようにしなきゃね。
申し訳ない。m(_"_)m
ネタがあるんだけど、書く時間がなくて。
ノルマは課しているけれど、あくまでノルマ。
ブログが生活の中心ではないから、
生活のペースに合わせて記事を書きますので、
お越しになって更新されていなくても、
ガッカリしないでくださいませ。
一昨日、長男は新しい音楽の先生に師事した。
ピアノの先生が交代した訳ではない。
今師事しているピアノの先生は、指導経験豊富な方で、
地域では5本の指に入ろうかという方である。
おいそれと替えたくないし、替われるものではない。
同じ音楽でも違う分野の先生に師事したのである。
では、それはどんな先生なのか?
トランペットの先生?
いいえ。
それは楽典と聴音の先生なのである。
楽典というのは、音楽の読み書きの基礎を記したもので、
言語的にいえば「いろは」を記したモノだと言える。
要するに、楽譜に書かれている記号や表記が何を意味するか、
それをまとめたものが楽典という訳だ。
西洋音楽として確立された以降の楽譜記述法が、
楽典の中心だから、これが音楽の全てじゃない。
あくまで「基礎」というところがミソである。
とは言え、これを知らなければ楽譜が読めない。
何調の何の音符を基準にした何拍子で、
曲想と速度を確認して、それから音楽に入る…だから。
その後は、リズムにスケール、和音にアーティキュレーション、
発想記号に奏法記号とテンコ盛りである。
正式に音楽をやるというのは大変だなぁと、
我が息子のことながらそう思った。
それから、聴音はソルフェージュとも言われるけれど、
ピアノで弾いた音を楽譜に書き記すことだ。
物理的な音に対するセンスを身に付けて、
耳を鍛えるレッスンである。
聴音は「絶対音感」がなくても大丈夫である。
「相対音感」を訓練するのが聴音だと思うのだ。
幼児期に訓練されないと身に付かない絶対音感とは違い、
相対音感は訓練次第でどうにでもなる。
ある基準の音を聞いてから、次の音が基準音に対して
どう違うのかを判断できればいいのだ。
この相対音感は演奏中のピッチのズレに対応できるし、
移調しても調の違いが分かっていればその対応も可能だ。
音大などの試験にもこの項目があるが、
それにはコツがあって、それさえマスターすれば、
それ程難しいことではないらしいのだ。
内容の説明はこのくらいで。
ちなみに、レッスンの場所はピアノのレッスンと同じである。
え?
それはどーゆーことって?
楽典と聴音の先生は、今のピアノの先生の娘さんなのである。
20代の新進気鋭、売出し中のマリンバ奏者なのだ。
ずい分前、そうだなぁ、8年くらい前かな。
同じ発表会で、先生と長男は出演しているのだ。
だから、先生は僕ら親子のことはよく知っているのだ。
何処となく面白いでしょ。
何か、因縁めいていて。
1時間のレッスンが終わって、初日は終了。
長男は戸惑いながらも何とか終えた感じだった。
「新たな段階に入ったんだなぁ」
帰りの車の中で、そんな風にしみじみと長男は語った。
ある意味で、もう大学受験が始まっているのだ。
長男も今が踏ん張り時である。
本人も少し自覚したようなのだ。
それを折れないように支えてやるのが、僕の役割かな。
間違っても、折らないようにしなきゃね。
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